GIRARD・PERREGAUX(ジラール・ペルゴ)

1791年の創業以来...最も著名な老舗時計メーカーといえども、その長い歴史においていくつもの浮き沈みを経験しています。ジラール・ペルゴは、ジュネーブに創業してから今日に至るまで、激しく時代が移り変わったこの200年余りの間、紆余曲折を経ながらも一度も時計づくりを中断せずに存続し続けた結果、真の意味で最古の時計メーカーの一つに数えられるまでになりました。



 

オート オルロジェリ コンタンボレンヌ(現代高級時計製造)
時計の神髄はムープメントの精妙さにあります。
歯車や輪列、完璧に仕上げられた微小な部品はすべて繊細な調整が施され、それらが組み上げられてムープメントが出来上がります。
このようなムープメントは、組み立てのあらゆるノウハウを熟知したごく少数のマスター・ウォッチメーカーだけが作り上げることのできる一種の芸術作品です。
ジラール・ペルゴは2世紀以上にわたり、真の傑作品と呼ぶにふさわしい時計を創作してきました。
時計づくりの芸術に精通したオートオルロジェリコンタンボレンヌ(現代高級時計製造)部門では、その高級時計のコレクションにこのような貴重な遺産を生かすべくたゆみなく努力を重ねています。
高級時計のコレクションに含まれる時計は、個別のナンバーを入れた限定生産で、ジラール・ペルゴのマスター・ウォッチメーカーがすべて手作業で仕上げています。
これらの高級時計には最高級のゴールドとプラチナのみを使用しています。

 
トゥールビヨン
トゥールビヨンの基本原理は、時計にかかる重力の悪影響、特に垂直方向に置かれた場合に生じる誤差を補正するものです。
コンスタン・ジラール・ペルゴは、このトゥールビヨンの機構を生かした天才的なムープメント(1884年に特許)を考案し、後にジラール・ペルゴの比類なき代表作ともなる“スリー・ゴールド・ブリッジ付トウールビヨン”を創作しました。
コンスタン・ジラール・ペルゴのスリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンは、1867年と1889年のパリ万国博覧会において金賞を受賞し、その卓越した技術を世に知らしめました。1981年、ジラール・ペルゴのマスター・ウォッチメーカーは、この高名な懐中時計スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンの復刻品を20個製作しました。これによってジラール・ペルゴは、トゥールビヨンのような高度な複雑時計を製造する技術を現代もなお保持し、そのエキスパートであることを証明しました。1個のトゥールビヨン・ウォッチを完成させるのに6か月から8か月を要します。その大半の時間が部品の組み立てや調整、そして仕上げの作業に費やされているのです。
1991年、創業200周年を記念してジラール・ペルゴは、“スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン”の腕時計版を創作しました。ゴールドのブリッジを文字盤側に配置したユニークなこの腕時計は、2世紀にわたる時計技術の粋を物語るだけでなく、以降毎年発表されるさまざまなトゥールビヨン腕時計の輝かしい出発点ともなりました。文字盤の一部にトゥールビヨンを露出させた“ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン”、ムープメント全体をスケルトン化して機構のすべてを見渡せるようにした“スリー・ゴールド・ブリッジ付スケルトン・トゥールビヨン”、205周年を記念して発表された“スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン・クロノグラフ”、また、複雑な時打機構を加えた“スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン・ミニツツリピーター”などです。さらに樽型のケースに収めた各種のトノー・トゥールビヨン、“ロレアード”のケースを使用したスポーティなトゥールビヨンもコレクションをいっそう豊かなものにしています。
最新作のスモールセコンドを配した古典的で格調高い“スリー・ゴールド・ブリッジ・トゥールビヨン〈プレジデント〉”や、31mmという小型サイズの実現に成功した“スリー・ゴールド・ブリッジ・スモール・トウールビヨン”なども、この複雑機構に対するジラール・ペルゴの飽くなき探究心を物語っています。
 
ヴインテージ・コレクション
ジラール・ペルゴの威信にあふれる長い歴史を現代に甦らせるために、プライベート・ミューアムに収められた名品時計を復刻したのものがヴインテージ・コレクションです。ジラール・ペルゴは1994年以来、今世紀前半に作られた人気モデルの復刻版を発表してきました。各モデルとも限定製作でシリアルナンバーが刻印され、時計の歴史を説明した小冊子とともに特製化粧箱に収められています。
1945年のモデルからインスピレーションを得て復刻された“ヴインテージ1995”が高い評価を得て、1997年に自社開発の自動巻ムーブメントを搭載して“ヴインテージ1945”というモデル名でレギュラーコレクションに加わりました。
1996年に発表された“ヴインテージ・クロノグラフ1996”は、1960年のモデルを原型としたクロノグラフです。翌年の“ヴインテージ・スプリット・セコンド・クロノグラフ1997”は、1947年のモデルからインスピレーションを得たものです。いずれも、機械式クロノグラフの精緻なメカニズムが特徴となっています。
また、シリーズには女性用モデルも存在します。“ヴインテージ1945レデイ”です。男性用モデルを二回りほど小型化したこのモデルは、独特のデザインの中にエレガンスのみならず女性らしさが豊かに表現されています。
 
フエラーリ
ー見したところ同列に価値を論じることができないように見えても、「時計」という製品と「車」という製品には多くの共通点があります。

  時計は車と同じくきわめて高度な技術の産物です。
  また、時計は車のように力強い感覚を創造します。

時計は、小さなケースの中に計り知れない価値を秘めています。時計に込められたもの、それは時を計るという人間の意図に他なりません。無意識にせよユートピア的な考えにせよ、人は時を支配したいという願望を抱いてきました。時計は、人間が手にいれた貴重な財産なのです。
車は、自由や動きを表現します。移動すなわち「ムープメント」は、空間と時間の結びつきを意味します。
フエラーリが車の中で最も完成されたシンボル、絶対的な存在であることは疑問の余地がありません。完璧な技術と造形的なデザインが融合したその車は、芸術作品の域に達しています。ジラール・ペルゴの文化は、フエラーリのそれときわめて似通っています。知性とノウハウに裏づけられた両者は、他とは異なる優れたものを創造する喜び、クオリティに対する姿勢、「モノ」の背後にある人間の意識の点で軌を一にするものがあります。
それだけでなく、目標達成のためのたゆみない研究にたえず新たな喜びを見い出すことも、また、成果に甘んじることなくさらに優れた可能性を求める姿勢までもが共通です。ジラール・ペルゴが、そしてフエラーリがこの腕時計を発表したのは、まさにこうした理由によるのです。
このように、ジラール・ペルゴとフエラーリは、同じ理念のもとに製品作りの道のりを歩んできました。これほどまでに豊かな成果を生んだパートナーシップは他に例を見ません。200余年にわたって伝統と時計製造文化を築きあげたジラール・ペルゴが、スイス時計において最後のそして最高のマニュファクチュールの一つに数えられることも、この腕時計の誕生に欠かせないものでした。
 
ジラール・ペルゴの品質基準
ジラール・ペルゴの名称が記された全製品は、ジラール・ペルゴ社によって入念に考案され、設計者、エンジニア、時計師によって製造されています。
 
手巻、自動巻きメカニカル・ムープメントクォーツ・ムープメント
ジラール・ペルゴのムープメントはすべて、何世代にもわたって培われた時計づくりの専門知識を備えるエキスパートの手作業を通じて組み立てから彫金、装飾仕上げが行われています。製造過程の各工程において厳密に検査が施されたムープメントは、ジラール・ペルゴの優れた技術力と製品の信頼性を保証します。
 
ース、ブレスレットレザー・ストラップ
ジラール・ペルゴのほとんどのモデルは、ステンレス・ステイール、ステンレス・ステイールと18Kピンクまたはイエローゴールドのコンビ、18Kピンクゴールド、18Kイエローゴールド、プラチナを揃えています。モデルによっては18Kホワイトゴールドもあります。ベルトについては、レザー・ストラップのみのモデルもありますが、それ以外は、ケース素材に合わせてステンレス・ステイール、ステンレス・ステイールと18Kピンクまたはイエローゴールドのコンビ、18Kピンクゴールド、18Kイエローゴールドが付いています。ジラール・ペルゴのレザー・ストラップは、最高級レザーから手作業で仕上げられ、ケース素材と同じバックルが付属しています。
 
文字盤
ジラール・ペルゴの各製品は、さまざまなバリエーションから文字盤をお選びいただけます。詳しくは当店にお尋ねください。

 

ジラール・ペルゴの歩み

1791年 時計師ジャン・フランソワ・ポットが初の時計を製作。彼は超薄型の懐中時計の創作によってすぐに大きな評判を獲得しました。彼はジュネーブに工房を構え、当時の時計づくりの技術を一つの屋根の下に結集するという革新を達成。この比類ない事業が現在に続くジラール・ペルゴの出発点となりました。
1854年 コンスタン・ジラールとマリー・ペルゴが結婚。二人の姓を組み合わせたジラール・ペルゴ社が1856年に誕生しました。
1860年頃 ジラール・ペルゴは、スイス有数の時計ブランドの一員となる。
1867年 時計ムープメントにゴールドを機能的に使用する方法を数年にわたって研究した結果、コンスタン・ジラールがスリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンを発表。この傑作時計は1867年と1889年のパリ万国博覧会において金賞を受賞しました。彼のトゥールビヨン時計は、1901年の博覧会では、他に比較すべき製品が見当たらないという理由から審査対象外とされました。
1880年 コンスタン・ジラールはきわめて革新的なアイデアの時計、すなわち腕時計を開発しました。ドイツの海軍将校用に考案されたもので、皇帝ウイルヘルム2世の注文により、2000個が製造されました。しかし、腕時計のアイデアはまだ時期尚早であったため、継続的な展開を見ることなく終わりました。腕時計が一般的なものになり、産業として発展を遂げたのは20世紀初頭以降のことです。このことによって、時計産業はスイス経済の牽引カの一つにまでなりました。
1890年頃 ジラール・ペルゴというブランドが国外でも知られるようになり、南アメリカやアメリカ合衆国、日本においても時計が販売されました。現在ジラール・ペルゴのプライベートミュージアムに展示されているそれらの中で特に貴重な懐中時計の何点かは南アメリカで発見されたものです。
1910年頃 ジラール・ペルゴは、腕時計の分野にも本格的に進出し、各方面で評判を獲得しました。
1930年 腕時計の売上が初めて懐中時計を上回る。それは、1880年に腕時計を初めて開発したコンスタン・ジラールの先見の明を実証するものとなりました。
1950年 時計産業の中心地として長い歴史を持つラ・ショ・ド・フォンにおいて、ジラール・ペルゴはそのリーダー会社の一つに数えられるようになりました。世界中のあらゆる地域に販売を展開するジラール・ペルゴは、この時期にアジアでもビジネスの拡大を目指します。
1966年 ジラール・ペルゴは、初の高速発振動メカニカル・ウォッチ(36,000振動/時)を創作し市場に送り出しました。
1969年 工場生産による初のスイス製クォーツ・ウォッチを製作。この時にジラール・ペルゴのエンジニアリング・チームが決定したクォーツ周波数(32,768ヘルツ)が今日広く世界規格として採用されています。このクォーツ規格はまさに時計技術における革命と評価されています。
1981年 ジラール・ペルゴは、高名な懐中時計“スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン”のレプリカを20個製造開始。
1991年 創業200周年を祝い、“スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨン”を縮小した腕時計版を創作。
1993年 フエラーリとのブランド・ライセンス契約にサイン。伝説のフエラーリの跳馬マークを文字盤に配した限定版のスプリットセコンド・クロノグラフを創作。
1994年4月 バーゼル・フェアで自社開発による二つの新しい極薄型(2.98mm)自動巻きムープメント、GP3000とGP3100を発表。
1994年6月 “フエラーリへ捧げる”と名付けられたスプリット・セコンド・クロノグラフの国際的な発表会をラ・ショ・ド・フォンで開催。
1995 5月 スポーティでエレガントな新ライン“ロレアート”発表。
1995年7月 イタリアのマラネッロで新しい“フエラーリ・コレクション”の発表会を開催。
1996年7月 フエラーリ社創立50周年を記念したジラール・ペルゴ・フエラーリF50をラ・ショ・ド・フォンで全世界に向けて発表。
1997年11月 ジラール・ペルゴはベルリンで最新のグランド・コンプリケーション・ウォッチを発表しました。直径31mmという小型のスリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンで
す。

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